情報禍時代

皮肉な人たちは現代を情報化時代ではなく情報禍時代と言っています。情報の量がむやみに増えるだけでなく、情報の質に対するコントロールがほとんどされません。全ての情報が野放しの状態で大量に放出されているのが現代で、これはもはや情報化ではなく、情報禍だというのです。したがって文化も、いまや文禍になりつつあるという人も出てきました。情報の氾濫が工業後社会の本質だとするなら、質量ともにノーコントロールの情報が我々を覆うものと覚悟しておいたほうがよく、その覚悟のうえに立ち、我々は情報仕社会を情報化社会にしない方法を講ずるべきだと思われます。最も簡単なのは情報のない地域に逃避することですが、これは現代の日本では不可能で、こんな時代には情報を役に立てる方法を考えるほかはありません。現代人は情報を拒否できない世界に生きているということになると残された道はただ一つ、情報を選択することだけになります。自分にとって役立つ惰報を選んで残りを捨てる行為しかほかにしようがありません。そのためには情報に対する抵抗力を作っておく必要があります。情報の量に迷わされたり、拒否反応を起こす体質では情報化時代は乗り切れないのです。情報禍に立ち向かい、自分を情報化することが必要とされます。

時代と感覚

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